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宮沢けいすけ KEISUKE MIYAZAWA

2012年4月23日

Japan 文化 

Japan 文化

伝統工芸として、静岡県には
経済産業省大臣指定(区分:国)伝統的工芸品3工芸品と、静岡県知事指定(区分:県)郷土工芸品19品目の計22品目があり、
静岡市には
駿河竹千筋細工、駿河指物、駿河下駄、駿河挽物、駿河和染、駿河雛人形、賎機焼き、駿河漆器、駿河蒔絵、駿河雛具、井川メンパなど11品目にものぼる
その内、多くの製品に漆が使われている

その漆は実は英語では「Japan」と言われている

中国製の漆もあるがDNAを調べればそれは全くの別物

漆文化の始まりは古くは縄文時代であり、今から一万年前より使用され
登呂遺跡の発掘時には弥生時代の出土品でも綺麗な朱漆に塗った木器が出土されている

漆の伝統文化は静岡市から?!

漆といえば東北と云うイメージがあるが
静岡市の周辺では早くから漆の採取をしていたらしく、
巴川上流の大字東には「漆山」「漆ケ久保」、有度山に漆ケ谷
丸子上流には漆平、藁科側上流にはウルシノクボといった小字が
今も残る
漆工芸が静岡の場産業として発達した背景の一つに、周辺から産出されたであろう漆の自給があげられる

かつては新潟や福井の漆掻き職人が往来していたともいれている

江戸時代には厳しい東北などの地域に
漆の産地を移転し、地域の仕事として漆掻きを依頼していた
ので漆の産地として挙げられることもあるが
実は、そもそも漆畑という苗字が出来たのもここ駿府である

漆の伝統工芸が文化、英語では云えば
Japan工芸の文化の始まりがここ駿府と、捉えたい


また、蕎麦と云えば信濃
蕎麦の発祥の地として江戸そばのルーツとされている
静岡市の山間地、安倍川の上流は山のすぐ裏が信濃という事もあり
信州地域との繋がりが強かった
今でも甲斐武田の末裔の方も上流部に住まわれている

そして、日本を東西に結ぶルートである東海道五十三次を伝って
文化や各地の品々が運ばれていったと言われている

大阪からの影響で、細麺の蕎麦、いわゆる蕎麦切りが始まったのが
江戸初期とされているが、実は、そば粉が信濃から江戸へ行く過程で、
職人の腕により蕎麦切り駿府で作られたそばが「実は「江戸そば」
として江戸で広まったのではないか」という説がにわかにここ駿府の地で
広まりつつある。

そして、大阪と云えば東海道五十三次の丸子の丸子宿には
1590年に北条征伐の帰途立ち寄った豊臣秀吉が羽織を与えたことから
現在も、その「お羽織」を大事にして観光客に見せてくれる
「お羽織屋」が旧街道にある。

その旧東海道の江戸時代先には、静岡市で最もおいしいと云われる蕎麦屋
「きしがみ」がある

信濃から駿府、京、江戸を東西に日本を結ぶ東海道五十三次
大御所時代より、ここ静岡、駿府の地が伝統や文化の交差点と発信地であったことは
間違いない

漆を英語でJapan、日本食と云えば私は「蕎麦」
どれも強引にここ駿府にしている感はあるが、地元の誇りか、なんだか少し嬉しくなる

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