宮沢けいすけ KEISUKE MIYAZAWA
2014年2月6日
富士山世界文化遺産と三保の松原逆転勝利
三保の松原を世界文化遺産の構成要件として取り入れてもらった自らの体験に基づいた話と、富士山が世界遺産になった意味について歴史や文化という幅広い見地から語って頂いた。まさに、私が従来から云っている「人も自然の一部」、それが日本人としてのアイデンティティにあることがわかったこと。そして、それが数々の文化に引き継がれた結果が富士山世界文化遺産であるということに納得が出来た。
その意味から富士山の世界遺産は日本人として大変嬉しく思う。
富士山に刺激されて、日本人が芸術的に価値を作った。
富士山が世界遺産ではなく、富士山を利用した日本人、日本人が芸術的作品に仕上げ、
普遍的価値を作り上げた。これはただ自然が世界遺産として評価されただけではなく、日本人の作品を評価されたという、違う意味も持つ。
三保の松原について
2013年5月1日、富士山から45kmも離れたイコモスが三保の松原を除外した。
その後、世界遺産選定委員会場で
6月22日、目に見えないつながりがあるという主張を粘り強く実施。
長い間、日本人の心でつながっているのであればと多くが賛成を示してくれたが、議長を通じて、4カ国が反対すると事前にわかった。その4つの反対する国について、癖や考え方を事前に聞いて、一カ国ごと対話を進めた。
反対国については2つにひとつ、「反対するか、賛成が多ければ反対せずに容認するか」のどちらかであった。だが、議決の際には一番難しかったドイツも「三保の松原を入れろ」と初めにいってくれた。
日本の伝統文化-自然感
日本人は「人間は自然の一部」と捉え、目に見えぬものの価値の認識する。
近代化とは違い、今はこの価値観が傍らに押しやられてしまった。
例えば、毛起寺は自然の中にある自然と調和した世界遺産
一方で欧米と異なるのはベルサイユ宮殿のように左右対称で自然を超越する幾何学的な建設物である。
Tカップも西欧は均一がとれた円のモノを好むが
日本の茶碗では自然界に直線はないとして、直線などを追求しない。
それが心をほっとさせるのである。
私たち日本人は動物に対する認識も西欧とはちがう。
欧米では、動物は人よりも下だが、日本では、鶴の恩返しのように同等である。
物に対しても欧米では、一部近代化で使い捨てのところもあったが、日本では、付喪神が宿るとして万物に対して魂を感じてきた。
こうした自然観から
自然、目に見えるぬモノの価値、水墨画のように間の持つ力、相手の心や文化を尊重することを日本人には感じることができる
また、地球が抱えている問題も欧米的な科学技術が発達すれば解決できるのではなく、日本の心が解決に導くのではと思っている。
西欧にも当然そのような方は居る、芸術家や文化人。
科学で自然を超越しようとしてきた。科学の力はすごい、直ぐに結果が出るが、精神、非物質的なものを持ってきた。
日本は移民族に征服されたことがなく、伝統的な文化財が残っている
自然観、美しさ、目に見えないが外国の人も感じていただけたのでは。
あまりにも近代合理主義に進みすぎた結果である、これからの人類の問題を考える上で文化からの再認識が必要であり、日本がそのモデルの国家になれると思う。
さらに、世界遺産登録を契機に「日本人の思想、文化、自然観、美意識が再評価されれば」と期待を込め、来場者には「富士山を守ることは自分たちの権利と考え、誇りを持って富士山と三保の保全、継承に皆さんの力を結集していただきたい」と呼び掛けた。